【ジュニアサッカー】才能が無い息子との3年間の「親子練習」の方法と、やってはいけないことの話。- 親は伝達、子は実践 – (中編)

親子練習

チーム選びのポイントは「息子に足りないものがあって、息子に有るものがないチーム」


僕との「親子練習」が始まってから数カ月後、息子は小学校へ入学した。
と同時に、地元の少年団へ入部した。

【ジュニアサッカー】才能が無い息子との3年間の「親子練習」の方法と、やってはいけないことの話。- 親は伝達、子は実践 – (前編)

その地元の少年団のチームレベルとしては、地域の小学校を母体としたチームの中で普通より少し下かなという印象。(*この時はまだクラブチームに行くレベルにはなかったのでその選択は考慮していない。)

チームを選ぶ基準としては、「息子に足りないものがあって、息子に有るものがないチーム」かということに当てはまるチーム、というのを選定基準に設定した。

①「息子に足りないものがある」チーム


まず、1つ目は「息子に足りないものがある」チームであるかを体験入部の時にしっかりと見定めることだ。

前回の記事にも書いたが、この年齢においては、息子の足が遅いから「走る練習」をしたり、体力がないから「ラントレ」などという練習を「親子練習」の中で補うことはしなかった。その理由は、親子という関係は非常にやっかいな関係だからだというひとことに尽きるのだが。もう少し詳しく言うと、それは自分自身がされてきたように、「親」という存在は悪気もなく「子」を変えようとしてしまう存在だからだ、ということだからである。

つまり、親がする子どもへの「足りないものを補ってあげたい」という思いや行為は「「親」が「子」という人間を自分の思い描いた存在に変えようとしている」とも言いかえられるのではないだろうか、という考えである。(*補足するまでもないが、躾など生活に根付いた文化・風習に対して、同様の概念にしているわけではない。あくまで子どもの「特徴」においてという話である)

そうしたことから「親子練習」では「足りないものを補う」練習は取り入れていない。取り入れてしまえば、そこに「叱責」や「暴言」によって「変えよう」とする意識が芽生える可能性をはらんでいるからだ。それでは本末転倒なのである。

そこで次に、ではその「足りないもの」はどこで「補う」のかということになる。それが「チーム」という存在だ。

息子にとって「足りないものを補えるチームを選ぶ」ことは、必然的に自発的に補おうと(友達やチームという他者からの影響と環境でついていこうとする意識によって)する成長力が期待できる。

子どもに限らず、人というのは「環境」に適応して「生きてきた生物」である。それはサッカーにも当然、当てはまることであり、仕事や人間関係にも言えることだ。

加えて、子どもというのはまるで「スポンジ」のようにしてあらゆることを吸収していく存在であるから、放っておけば勝手に適応できるようになっていくのだからその特徴を存分に活かせばよい、という算段でもある。

ただし、息子に足りないものをチームで補うというだけでは「楽しさ」は生まれない。つまり「アメとムチ」に言い換えれば、「補うという行為は = ムチ」となる。走れない子がチームについていこうと必死に走ることはどちらかと言えば「しんどい」「楽しくない」「つらい」という感覚になるのではないだろうか。

はじめからそこに「楽しさ」は宿っていない。ムチだけになっていては続かないということにもなりうる。

ということからわかるように、次に重要なことが2つ目の「アメ」の部分になる。

「チームにとって足りないものを補える」存在になれるか

息子がチームから得られる「アメ」とは何だろうか。

それが、「チームにとって足りないものを補える存在」であるかである。

要するに息子はチームから「必要とされているか」ということだ。それを確認することができる方法が、これまでに行ってきた数カ月間の「親子練習」で出来るようになった技術である。

できるようになったこと
  1. 足裏でボールを転がす
  2. バウンドボールのトラップ
  3. 体を捻ってボールを強く蹴る
  4. ボールを前に運びシュートをする
  5. 複雑なリズム運動
  6. 足を速く動かすステップ
  7. 数種類のボールタッチ練習
  8. ステップ運動とボールコントロール練習の組み合わせ

上記の「できるようになったこと」(前編に記述)を表にして、それを下記の通り「特徴」としてまとめればわかりやすい。

・細かい動作の習得は早い(ある一定の狭い範囲での部分的な)

前篇より

例えば息子の特徴として細かなタッチが得意だということがわかったので、そこから派生する形で様々なキックの練習もさせた。するとコーナーキックやシュートが1年生にしてファーまで飛ばせるほどのものになった。またグニャグニャだった体が欠点だったが、そのグニャグニャという表現を「柔らかい」と言い換えることで繊細なタッチにもなりうるのではないかと考え、ジンガやL字などの細かなボールタッチを練習させ習得していった。

そうしたこれまでに培ってきた技術的な特徴を活かせるチームかどうかをチェックしていけば判断基準としてわかりやすい。そしてこのチームは息子の特徴が活かせると判断できれば、そのチームに息子は「必要とされている」ということになる。そして何より、息子自身も「楽しい」と感じるだろう。

人は誰かに必要とされることで前に進んでいける。前述した「補う=ムチ」という部分はどちらかと言えば「つらい」「しんどい」という感覚になるが、「チームにとって足りないものを補える存在」になることができれば「必要とされる」のだから必然的に「楽しい」という「アメ」を手に入れることができる。よって「アメとムチ」という関係性がここで出来上がる。この関係性が出来上がると人はがんばれるのだ。

このチームは「うまい子」はほとんどいなかったがとにかくよく走る子が多かった。言い方を変えれば少しワルガキというくらいの印象がある子が多く、すぐにケンカになり、負けず嫌いの子が多いためよく走るうえに球際でのデュエルもなかなかに見応えがあった。そういう中において、息子はどちらかと言えば静観する側だったのであまりその中には自ら入ってはいかなかった。本来の性格的なものもあるだろうし、「走る」という競争原理において自信が無いというのもあったと思う。

ただ、ボールが来ると息子はうまかった。足裏で転がして相手のチェックを剥がしてドリブルをしたり(そのあと追いつかれて取られたりするのだが)チャンスがあれば強いシュートを打っていた。

そうして「チームにとって足りないものを補える存在」として、このチームは息子にとっては良いかもしれないという判断が出来た。

「息子に足りないものがあって、息子に有るものがないチーム」に合致したのだ。

息子は入部から退部までの1年間、足りないものをチーム練習で補いながら、チームに無いものを息子が発揮し、1年生時代をレギュラーとして活躍することが出来た。

チーム練習では必ず得意なことで達成できる「小さな目標」を設定

親子練習

僕との週2、3日で行われていた「親子練習」は、息子が入学してからは「ほぼ毎日の親子練習」へと変わっていった。

ただ、僕との「親子練習」とは言っても所詮は「個人的練習」の域は出ていない。つまり、同世代同士による実践的な対人練習とはなっていないということだ。サッカーの練習でなによりも大切なことは常に「対人練習」として実践的かつ直接的なクオリティを練習で担保出来ているか、ということである。

そこを払拭するには「親子練習」だけでは難しい。

ただ、その「親子練習」を経て、その先にある「試合」をイメージしたトレーニングは最低限担保することはできる。

そのためには「親子練習」→「チーム練習」→「試合」→「親子練習」というサイクルを作り、PDCAのようにそこに「見直し」を含めた習慣化へと変えていく必要がある。

そのサイクルが分かると、「親子練習」という立場はあくまで「準備」であるということも分かるようになる。そして、その準備から「所属チームの練習」という「実践」へと移行していく。その時に実践で成果を出すためには「いつ、どんな技で、どんな成果を出すのか」という具体的な思考が必要になってくる。

そうすると、「所属チームの練習」で成果を出すために、日々の「親子練習」の中で「目標」を作っていくことがとても重要だということも分かるようになってくる。

それを息子と話し合った。ただ、そうはいっても7歳の小学1年生である。難しいことは説明できないので、「火曜日の練習(いつ)で、シザースを使って抜いて(どんな技で)シュートを打ってみよう(どんな成果を出すのか)」という普段の話し言葉レベルで目標設定をするようにしていった。

また、その目標群は常にやろうと思えばいつだってできるサイズの「小さな」ものである必要がある。例えば、ハットトリックをする、というような一年に何度かしか無いような難しく大きな目標にしてしまうと、達成できないという可能性を孕んだものに変わっていく恐れがある。それは同時に「しんどい」という感覚を覚えるかもしれない。そうではなくて、目標設定には常に「楽しい」という感覚もセットで行う必要がある。そのためにはサイズは小さいものに限るということだ。今この瞬間に意識さえすればできるサイズのものを常に設定した方が良い。

そして日々達成されてきた「小さな目標」の積み重ねはひとりの選手の「大きな特徴」へと変わっていく。

それが「自信」というものではないだろうか。

小さな「成功体験」の積み重ねで「自信」を作る

親子練習

チームの練習のたびに設定してきた「小さな目標」を達成していくと、オドオドしたり慌てたりするような不安要素が減ってくる。つまり自信がついてくるということである。では自信とは一体何か。

まず、「小さな目標」を達成するということは、同時に「成功体験」を積み重ねているとも言い換えられるだろう。

「成功体験」には、何かがうまくいったという経験だけではなく、無意識のうちに「慣れ」というものも作り出してくれる。その「慣れ」というものはつまりは「慣習」とも言えるだろう。

掘り下げると、その繰り返される目標設定と目標達成には、息子というひとりのサッカー選手のレベルを引き上げていき、そして周りの選手や親からの目線も変化させていく。その自分と他者との変化が「楽しい」と思えるから「慣習」にしていけるということにもなるのではないだろうか。

そして、そうした慣習化されたことを「こなせる」ということが「自信」というものなのだと僕は考えている。

反対に、慣習化されていない「初めての体験」において、人は自信を持って取り組むことはできない。ただし、これまでの息子の「小さな目標」が「成功体験」を生み、そしてそれを積み重ねていくそのサイクルが「慣習化」されることで「自信」へと変わっていくという工程は、やがて「経験則」という新たな武器を生み出していく。

その「経験則」というレベルにまで引き上げることができれば、新しい場所や人との「初めての体験」においても「成功体験」を生み、積み重ねていくことが可能になっていくのだろう。

少年団チームで1年間レギュラーとしてがんばった息子は翌年、地元の強豪クラブチームへと移籍する。そしてクラブチームでもレギュラーになり大会へ出場。同大会6試合6得点4アシストを記録し準優勝を経験。活躍が認められクラスアップを経験し、そこで出場した大会では優勝を経験。

<後編へ続く>

コナミデジタルエンタテインメント